今回はまずカナダのかなり東側にある、ハリファックス(ノバスコシア州)にてホームステイやシェアハウス、語学学校や就労を体験した方に記事を書いてもらいました。昨今は日本人が少ないと言う事でかなり人気になってきているカナダ極東に位置しています。
ホームステイの体験談
ホームステイ先の見つけ方
衣食住が人間の基本ですから、見知らぬ土地に行くときに、滞在する場所はとても大事です。
海外で暮らすといえばホームステイ、と漠然と思っていましたが、ホームステイはホストファミリーによって当たり外れがある、と体験談などでよく目にしていました。
ホームステイの仲介サイトを見て、いろいろな家族の提示する条件を比較し、慎重に選びました。
学校選びもそうですが、全てまとめて仲介をしてくれるエージェンシーもあります。
全てお任せできるので楽ですが、上乗せで仲介手数料がかかってきますし、時間はかかりますが、学校もホームステイ先も自分で申し込むことはできます。
行く前でまだ英語が話せなくても、全てメールでのやり取りなので、翻訳機能を使えば、難しいことはありませんでした。自分のこだわりを持って選べる点も良かったなと思います。
元コックさんのホストファザー
最終的に私が選んだのは1ヶ月800CADで街の中心から少し離れているけれどバス停が近く、食事こみ、というホームステイ先でした。なんと、食事は元コックさんのホストファザーが作ってくれる美味しい料理。
彼が朝食に作ってくれるチーズのたっぷり入ったふわふわのオムレツが大好きでした。
学校のある日は簡単なサンドウィッチを作って持たせてくれたり、週末は庭でB B Qで焼いたお肉を食べたり、お腹が空いたらいつでもお菓子を食べていいよ、と用意してくれていたりして、恵まれた食生活でした。
ただし、肉と小麦が中心(メープルシロップも頻繁に登場しました)なので、日本食は恋しくなりました。美味しいお魚が食べたいなぁと何度も思いました。
カナディアンファミリーの洗礼
ホームステイ中に忘れられないことは、最初の1ヶ月くらい、ホストマザーと一緒に、彼女の両親や従兄弟ファミリーの親戚の人たちのおうちを訪れたことです。
お茶をするだけのこともあれば、ホームパーティーの場合もありました。
新しく加わった私を、家族に紹介し、迎えてくれようとする気持ちは嬉しかったのですが、まだほとんど英語も話せない、聞き取れない中で、この時間は私にとってとても負担の大きい時間でした。
そうは言っても、相手に不快な思いをさせず、断る術も持ち合わせていなかったので、今振り返っても、行くという選択肢しかなかったように思うのですが、これは少し堪える体験でした。
別々で暮らしていても頻繁に家族の元を行き来したり、お家に招いてお茶したり、ということは家族を大事にするカナダ人らしい習慣だなと思います。
語学学校もハリファックスでした!本当に日本人が少ない
私が英語を学ぶために選んだ場所がカナダのハリファックスでした。
トロントやバンクーバーなどの大都市は日本人や日本食のレストランも多く、暮らしやすい場所ではありますが、裏を返せば、日本人コミュニティができやすく、意志を強く持たなければ流されてしまう危険性もあります。
はるばるカナダまで来ているのに、日本人の友達を増やして帰ってはもったいないと思い、日本人の少ないハリファックスを選びました。
実際に現地で日本人と出会うことは珍しく、語学学校にも私以外に2人の日本人のみでした。日本語を強制的に排除するという選択は良かったと思います。
しかし、これは初めての長期の海外滞在をする私にとってはかなりのストレスで、時々実家の母や友達に電話をして、話しやすい言葉で話すことでリラックスする時間を作るようにしていました
語学の壁・心の壁
語学学校での苦労は、語学の壁だけではありませんでした。授業の中で、日本の小中学校とは違い、自分の意見を述べる場面が多くあった点に苦労しました。
日本での授業というと、先生が生徒に教えるイメージですが、語学学校では、「この写真の中から好きなドアを選んでください。
そしてどうしてそれがいいと思ったのか理由を話してください。」や、「グループのみんなでストーリーを作って、絵と文章で紙芝居を発表してください」という、考え、話す、ということが中心でした。
もちろん、話すために勉強しているので、必要な過程なのですが、話す以前に、創作することや、自分の意見について確かな理由を持つという考え方自体に慣れるのに時間がかかり、脳をフル回転させなければならない日々でした。
婉曲表現を好む日本人にとって、断定的に意見を述べる言語である英語は、自分のものにしようと思った時、気持ちの部分でも一つ越えなければならない壁があるようです。
語学学校は異文化の入り口
苦労した部分も多かったですが、語学学校でできた友達は、海外での不安だらけの日々を癒してくれる存在でした。
休みの日には海や湖に遊びに行ったり、学校の後にバーに飲みに行ったり、夏にやってくる移動式遊園地に遊びに行ったり、外に連れ出すきっかけをたくさん作ってくれました。
また、友達のおかげで恋人とも出会えたり、働き口を紹介してもらえたりもしました。
たとえ1回会っただけの相手でも、お互いに何か困ったことがあれば、相談に乗ってくれる人ばかりで、ハリファックスではみんなが人のつながりを何より大事にしているように感じました。
語学学校に入ることは英語を学ぶためだけではなく、人のつながりを作り、異文化に親しむきっかけづくりとしていいと思います。
語学学習が目的でない方も、3ヶ月だけでも通ってみるといいのではと思います。
ハリファックスでのルームシェア体験ってどんな感じだと思いますか?
シェア中の暮らしぶり
ホームステイは4ヶ月間のみで、その後は、ハリファックスで知り合った日本人の女の子とルームシェアをしました。
一軒家の2階部分に大家さんが住んでいて、1階を私とその子で使っていました。それぞれのプライベートの個室があり、キッチンやお風呂、トイレは共有でした。
生活必需品の買い物は一緒に行ったり、お互い作ったものを食べてもらったり、気を遣わない程度に助け合う、リラックスした暮らしでした。
英語を学ぶために、と最初こそ日本人との関わりを避けていましたが、やはりベースの暮らしはリラックスしているのが一番だと思います。
時々彼女と日本語で思い切り話せる時間は、ホームシック中などには心の拠り所になりました。
ハリケーンに備える
彼女とのルームシェア中にハリケーンがやってきました。
台風ではなくハリケーンという響きに根拠もなく怯え、強風で外に出られなくなるといけないから、と食材やキャンドル(停電した時のために)を買い出しに行き、こもる支度をしました。
ところが、わたしたちが住んでいた家のあたりはほとんど被害がなく、少し強い風が通り過ぎたな、というくらいのものでした。あっけなく終わり、無事でよかったね、と言いながら眠りました。
しかし翌日街に出てみると、アパートの屋根が剥がれて落ちていたりして、それなりに威力のあるハリケーンだったようです。ハリケーンの時は外出を控えて家でじっとしているのがいいと思います。
盗っ人騒動
私も彼女も、もうすぐ別の部屋に引っ越すことが決まっていた頃に、ある事件が起こりました。わたしたちが一緒に買い貯めておいたトイレットペーパーがやたらに減っているのです。
最初に気づいたのは彼女で、トイレットペーパーを誰かにあげたりした?と聞かれました。
そんなことはない、と答えた私も、見ると確かに異常にトイレットペーパーが減っていて、どうしたことかと首を傾げました。
すると彼女が夜中に廊下で物音がするのだと言います。家に入れるのは2階に住む大家さん家族だけ。そこで大家さんにそれとなく尋ねてみたところ、急遽足りなくなり少しもらったのだと言われました。
その後こっそり別の種類のトイレットペーパーが補充されていて、彼女と二人大笑いしました。
後日談としては面白いのですが、たとえ大家さんといえど、人のものを無断で拝借するのはいかがなものかと、もやもやした気持ちを抱えたまま引っ越しました。
ハリファックスでカナダ人とのシェアハウスを経験
2度目のルームシェアは、カナダで出会った韓国人のボーイフレンドと、カナディアンのゲイの男の子、日本人の年下の男の子とのアパートでの4人暮らしでした。
ルームシェアの相手探しは、1回目の時もそうでしたが「部屋を探している」ということをいろんな人に言っていると自然と相手が見つかります。
絶対にとはいえませんが、一人でネットで探しているよりも、早く見つかる気がします。周りに必ず助けてくれる人がいるので、とにかく意思を周りの人に伝えることが大事です。
ただできるだけ、気が合う人を見つけられるとその後の生活も楽になるのでここは妥協しない方がいいと思います。
日本とカナダのアパートの違い
アパートの部屋は4人で暮らしても十分なくらい広々していました。日本のアパートと違う点は大きく2つありました。
1つは洗濯機が各部屋になく、地下のランドリールームにあること。
もう1つは、全館ヒーティングシステムと言って壁に温かいお湯の通るパイプが通っていて、エアコンやストーブがなくても部屋が暖かいことです。
後者に関しては日本も取り入れたらいいと思うくらい素晴らしいシステムでした。冬に家に帰ってきて、いつでも部屋が暖かいというのはとても幸せなことです。
冬用のモコモコした部屋着は必要ありません。夏と同じ格好で過ごせるくらい暖かかったです。
あとは、小さな違いですが、一軒家のおうちでもそうでしたが、玄関口に段差がなく下足場と室内の境界がありません。
ただカナダでも、室内では下足を脱ぐよう言われるおうちの方が多く、脱いだ靴は玄関の横の壁沿いに揃えて置いているという感じでした。
雪の中を歩いてきた靴で帰ってきた時などは、下に新聞紙を敷いていましたが、やはりリビングにも砂や泥が入ってきて、掃除が大変。
日本の玄関口の段差は、私たちにとっては当たり前すぎるけれど、便利なつくりだなと思いました。
ハプニングだらけの日々
シェアしていたアパートはかなり古い建物だったので、キッチンの水道管のパイプが壊れて、キッチンが水浸しになったりしました。
また上でも述べた、ヒーティングシステムがおかしくなり、部屋がサウナのように暑くなったりとハプニングもありました。
キッチンからすぐ出たところに火災報知器がついていて、煮物や汁物を作るとすぐに警報がなったりするのも、最初は笑っていましたが、そのうち鳴ると無言で誰かが椅子に上って止めるようになりました。
何か故障があり、大家さんに連絡すると、修理屋さんがくるまでに3回は電話をしないと対応してもらえなかったりもしました。
さらに生活の中では、掃除に関してよくケンカが起こりました。基本的にカナディアンの男の子の片付けられない、掃除できないことがケンカの原因になりました。
小中学校で掃除を叩き込まれているわたしたちは、掃除道具の使い方が分かりますし、どうなったら掃除をしなくてはいけないという感覚が、みんな共通して大体同じです。
これが一切通用しないのはカルチャーショックでした。ハプニングだらけでしたが、なんだかんだ大人数でのルームシェアはがやがやしていて楽しかったです。
ハリファックスでの最初の仕事はハウスキーパー
追記
この記事では就労場所がカナダのノバスコシア州になっていますが2024年の最低賃金は15CADになっています。そのために、この記事で書かれる賃金は本来の金額よりも低く紹介されています。実際にはこの金額から30%程度は上がっていますのであらかじめご了承ください。
また2024年ですが4月に最低賃金を$15.2に引き上げることを正式に決めています。
ハリファックスで最初に就いた仕事は、日本でホテルで働いていた経験を活かして、ハリファックスのビジネスホテルでのハウスキーパーの仕事でした。
友達の友達に紹介してもらい、その人がホテルに口利きをしてくれて働けることになりました。ここでも人のつながりです。
ただ、仕事に関してはネットの掲示板でも募集がありますし、今はS N Sで募集をかけている職場もたくさんあります。
また、レストランなどではスタッフ募集の張り紙を見て、直接申し込みに行くこともできるので、仕事を見つけるチャンスは至る所にあります。
ワーキングホリデーで行っても何の仕事をしようと迷いますが、ハウスキーパーの仕事に関して言えば、英語に自信のない私でも雇ってもらえました。
さらに働く人たちは皆気さくな人ばかりで、海外の初めての仕事としてはよかったと思っています。
ホテルのハウスキーパーの仕事内容
ホテルのハウスキーパーはお昼の休憩を挟んで5〜6時間ほどのシフトでした。ひたすら部屋の掃除ですから、体力仕事です。
重たいカートを引いてフロアを移動しながら、割り当てられたお部屋を1つずつ仕上げていきます。体力も忍耐力もいる仕事ですが、20代から60代くらいまで幅広い年代の人が働いていました。
長年勤めている人が多く、いろいろなコツやこだわりを聞きながら働きました。
また、1つの部屋は1人のスタッフが清掃担当をするので、お部屋に残してあるお菓子やチップは清掃担当がもらっていいことになっていました。
時には結構大きな額のチップを発見することもあり、これは忙しい仕事時間の合間の嬉しい瞬間でした。
働き方の違い
よく言われることですが、日本人は働きすぎだ、ということをホテルで働いてみて実感しました。
ただ、カナダ人が働かない、怠惰だという訳では決してなく、彼らもやるべきことはきちんと真面目にやりますし、自分で考えて、いいと思うことも率先してやります。
それでも、仕事が早く終わればゆったりおしゃべりしたり、息抜きをしながら働いています。
毎朝行われる朝礼での、マネージャーからスタッフへの話も、事務的なものではなく、ユーモアを交えたり、個人への声かけが入っていたり、コミュニケーションを楽しみながら行われていました。
日本での生産性を常に意識した、隙のない働き方が染みついた私は、すっかりそういう雰囲気に慣れることはできませんでしたが、このくらいでいいのだと少し肩の荷をおろした気分で働いていました。
こういうゆったりした空気だからこそ長年勤めるスタッフも多いのだろうと思いました。
ハリファックスでの仕事も紹介・タイレストランのキッチン
タイの温かい人たち
冬に向かうにつれ、ホテルの稼働が落ち着いてきて、私のシフトも減るようになったので、新たに仕事を探す必要がありました。
その時、最初にルームシェアをしていた女の子の紹介で、タイレストランのキッチンの仕事につけることになりました。
キッチンで働いている人たちはほとんどが本場のタイからやってきた20代の青年たちです。
彼らのほとんどが英語は話せず、タイ語でやりとりをしていたので、最初はどうなることかと思いました。
しかし、言葉が通じなくてもおたおたしている私に、優しく仕事を教えてくれたり、優しいいじり方で輪の中に入れてくれたりして、こんなにも温かい職場は人生で初めてでした。
毎日とんでもなく忙しいのに、笑いの溢れる職場で、全く言葉が通じていない空間にいるとは思えない体験でした。
小さなレストランから世界を知る経験
そのレストランはハリファックスやその周りの市に5店舗ほど展開しているレストランでした。
タイ料理のエスニックな味付けが好評で、ハリファックスの人たちにも人気のあるレストランでした。
タイ人のオーナーがタイの若者を連れてハリファックスにやってきて、彼らの衣食住を確保し、レストランをスタートしたそうです。
やり手のオーナーです。働いている若者たちは、衣食住が保障されているとはいえ、自分の贅沢にお金を使うこともなく、稼いだお金のほとんどをタイにいる家族に送っていました。
ひとりだけ少し英語の話せる青年がいて、ある日私が彼に、夢は何かと聞いたことがあります。
その時は少し考えて、結局答えなかったのですが、次に会った時「この間の答え、考えたんだけどね、家族にマンションを買ってあげたいんだ と言われました。
日本も昔は都会へ出稼ぎに行く人々がいましたが、家族のために母国を離れ、それでも明るく楽しく働く彼らをみていて、胸が熱くなりました。
違う国の文化を理解する一歩として、その国の人たちと直接関わることがあると思います。出会ったのはほんの数人のタイの人々でしたが、彼らに会い、一つ世界の見え方が変わったような気がしました。
よく食べ、よく働くタイの人たちを見て
タイの人たちは本当によく働きました。店内飲食もテイクアウトも人気で、多忙を極めるキッチンでしたが、一人一人がお互いをフォローしながら、臨機応変に本当にうまく回っていました。
私も自分にできることを一生懸命にやりました。休憩は30分くらいで美味しいご飯を食べたいだけ食べられます。
彼らは辛いものが大好きで、私は最初慣れず、辛いものは避けていましたが、不思議と汗だくになって働いて食べる、彼らの作る辛くてスパイスの香る料理は美味しく感じられるようになってきました。
あとはデザートに食べるパパイヤの美味しさといったらありません。
美味しいご飯を食べるために働き、元気いっぱい働くためにモリモリ食べる、そんな単純なサイクルがとても気持ち良いなぁと感じていました。
仕事だけでは終わりません、ハリファックスからモントリオールに旅行も
モントリオールに列車で旅行
秋口にモントリオールへ列車で旅行をしました。カナダは広いので、州を移動するときは飛行機を使うのが一般的です。
しかし、海外の列車に興味があった私は、時間もあるので列車に乗って行くことを決めました。結論から言うと本当にお勧めできません。
昼行列車で7~8時間乗っていったのですが、椅子は日本の電車のように柔らかくなく、硬いしリクライニング機能もなく、風景もただただ変わり映えのしない風景が続くのみ。
あまりにもつまらなかったのでほとんど記憶に残っていないくらいの経験でした。
それでいて乗車賃は飛行機で行くのと同じくらいかかります。失敗して学んだ一つの出来事でした。
ケベックシティの観光
モントリオールについた後、そのままバスでケベックシティに移動して、ケベックシティ観光をしました。ケベック州はフランス領だった過去があり、公用語がフランス語です。
看板や案内表示がフランス語でしか書いていないのには苦労しました。
バス停に「現在工事のためこのバス停には停まりません」とフランス語で書いてあるのを理解できず、永遠にこないバスを待っていたこともありました(後でgoogle翻訳機能を使い、なんと書いてあるのか知りました)。
街並みはヨーロッパに来たのかと錯覚するような雰囲気の石造りの建物が建ち並んでいます。
特にケベックシティはこじんまりしているけれど、中心に立派なお城があり、その周りに可愛らしいお店がたくさん立ち並び、お散歩しているだけでもワクワクする街でした。
ちょうど日本からのツアー観光のお客さんも来ていて、観光の定番の街なのだと実感しました。カナダに行ったら一度は訪れてみてほしい街です。
日本の友人と現地集合に感激
再びモントリーオールに戻り、偶然アメリカにいた大学時代の友達と落ち合い、一緒に観光をしました。
食通の彼女は美味しいお店を見つける才能があり、彼女に連れられ、B級グルメ的なものからレストランできちんと手の込んだ料理まで、美味しいものをたくさん堪能しました。
とにかく何をとっても1人分の量が日本の2人分くらいあるので、注意が必要です。美味しいものを食べながら、久しぶりに会った友人と旅行するのは楽しい時間でした。
日本に住む友人に私がカナダにいると話すと、それをきっかけにカナダに遊びに来てくれる友人もいました。
私としても嬉しいし、どちらも日本にいたら、なかなか思い立つこともないだろう旅行ができて、面白いと思います。
またカナダに行くことを計画していますが、次は家族も呼び寄せてカナダ観光をしたいなと思っています。
ハリファックスの観光についても紹介します。
港町ハリファックス
私の暮らしていたハリファックスは、港に面した街でした。貨物船が入ってきたり、夏にはヨーロッパやアメリカからの豪華客船が立ち寄ったりする港でもありました。
海岸沿いは砂地のビーチではなく散歩ができるように桟橋が設置されていて、レストランなども並ぶ開放的な雰囲気になっていました。
ハリファックスでの滞在中、最後の3~4ヶ月ほどコロナウイルスによる自粛で仕事も旅行も行けない期間がありましたので、海沿いをよく散歩しました。
街の人たちも犬を連れて散歩していたり、至る所にベンチがあるので座って各々の時間を過ごしたりしていて、のびやかな空気の流れるお気に入りスポットでした。
夏の港は毎晩お祭りのようににぎやかで、夏だけのレストランが開いたりして、楽しい雰囲気になります。
季節ごとのイベントが盛りだくさん
1年間をハリファックスで過ごしましたが、それぞれの季節にいろいろなイベントがありました。
カナダの建国記念日カナダデーやレインボーカラーを見にまとい行進するLGBTのイベントプライドデーは本当に素晴らしいと思いました。
他にも夏の海辺に出没する移動式遊園地、新年のカウントダウン、街の公園で無料で滑れるアイススケートリンク、感謝祭やクリスマス、誰かの誕生日のパーティーなど。
ハリファックスはそれほど大きな街ではないのであまりイベントなどには期待はしていませんでしたが、集まって騒ぐことはみんな大好きで、イベントの時には町中の人たちが参加して盛り上がりました。
近場の観光地も紹介
近場の観光地でおすすめが2つあります。1つは、ケープブレトンという町です。ハリファックスと同じノバスコシア州の中にあります。
この町は昔イギリス領土だった名残で、カラフルな建物が残っていて、写真映えのする可愛らしい町です。車でハリファックスから片道4時間ほどかかります。
地元のクラフトマンが作った小物などがお土産で売られていたりして、ロブスターロールなども食べられ、小旅行で行くにはうってつけの場所です。
もう1つのおすすめは、日本でもお馴染みの「赤毛のアン」の舞台になったプリンスエドワード島です。ハリファックスからは車で片道3時間半ほどです。
アンが暮らしたグリーンゲイブルスというお話に出てくるおうちも見ることができ、ファンがよく訪れています。
私も一度行きましたが、ハリファックスよりもさらに長閑な空気が流れていて、広々と広がる牧草地やメープルツリーがとても美しかったです。
ハリファックスにいてよかったのは、不便を感じない程度の町で暮らしながら、時々気分を変えてふらりと大自然の中に来られるところです。
ハリファックスは英語を勉強しながら自然も満喫したい方にはぴったりの街だと思います。
上記の写真は下記から引用しています。
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